●地球に発見された連鎖クレーター
●隕石に含まれるなぞを木星が解決か
●マーチソン隕石のアミノ酸は左手系
●小惑星ベスタの大クレーター
●隕石母天体のマントルはどこに消えたか?
●ツングースカの爆発は小惑星によるものか?
●「隕石落下による恐竜絶滅」説を指示する新しい証拠
●火星起源の古い隕石
●つくば市に隕石落下
地球に発見された連鎖クレーター
1994年にシューメーカー・レビー第9彗星がいくつもの破片になって木星に衝突した ことは、記憶されている方も多いことでしょう。つぎつぎに衝突した破片は、木星の自 転に伴って、木星上の同じ緯度のところにきれいに並ぶ衝突痕の連鎖を作りました。こ の衝突から、「もし、この衝突が地球でおこったら・・・・」という想像をした方もあった に違いありません。
もちろん、過去の地球には何回もの天体の衝突がありました。これまでに約150個の 天体衝突の痕跡がクレーター等の形で地球上に見つかっています。その中には、シュー メーカー・レビー彗星の衝突のように、破砕した天体がつぎつぎに衝突して作った連鎖 クレーターがあるかもしれません。
カナダ、ニューブランズウィック大学のスプレイ(Spray.John G.)らは、こうした立 場から地球上に存在する衝突クレーターを見直した結果、今から2億1400万年前にでき た5個のクレーターが、破砕した一群の天体が衝突してほぼ同時に生じた連鎖クレータ ーであることを推定しました。
これらの衝突クレーターの大きいものは、フランスのロシュショール(Rochechouart) クレーター(直径25km)、カナダのマニコーガン(Manicouagan)クレーター(100km)とセイ ント・マーティン(Saint Martin)クレーター(40km)です。最近の年代測定から、これら はみな三畳紀の末、いまからおよそ2億1400万年前にできたものであることがわかって います。これらは現在北緯45.8度から51.8度の間に分布し、同じ緯度上にあるわけでは ありませんが、プレート運動による大陸の動きを過去に戻して、2億1400万年前の位置 で考えると、これら三個のクレーターは、その時代の緯度で、ほとんど北緯22.8度の線 上に並び、その誤差は1度以下に納まります。同時代にできた三個のクレーターが同一 緯度に並ぶのが偶然であるとは、ほとんど考えられません。
これに加えて、ウクライナにあるオボロン(Obolon)クレーター(15km)とアメリカ北部 にあるレッド・ウイング(Red Wing)クレーター(9km)もほぼ同時期にできたと推定され ています。この二つは上記の三個のクレーターと同じ緯度ではありませんが、オボロン とロシュショールを結ぶ線も、セイント・マーティンとレッド・ウイングを結ぶ線も、 22.8度の緯度線と一定の傾きをもつ平行な大円上にあります。この事実は、ある天体が まず大きく三つに分裂し、あとからそのうち二つがさらにこわれて小さい破片を生み出 し、それらがつぎつぎに地球に衝突したことを想像させます。まずロシュショールとオ ボロンのクレーターを作った一対が衝突し、つぎに、地球自転によってやや西にずれた 地点にマニコーガンの衝突が起こり、最後にセイント・マーティンとレッド・ウイング を作った破片の一対がもっとも西の地点に衝突したという順序です。ロシュショール・ クレーターとセイント・マーティン・クレーターは、その時代の経度で43.5度離れてい ますから、これらの衝突が3時間足らずで起こったことがわかります。こうして衝突し た天体が小惑星であったか彗星であったかは、いまのところよくわかっていません。 白亜紀の末に起こった天体衝突によって生物種の大量絶滅が起こり、それによって時 代が第三紀に移り変わったことはよく知られています。ここで述べた衝突によっても同 様な事態は起こらなかったのでしょうか。実は三畳紀にも何回か生物種の大量絶滅が推 測されています。そのひとつは、この連鎖クレーターを作った衝突によってひき起こさ れたものかもしれません。
参照 Spray,J.G. et al., Nature 392,p.171-173(1998).
アメリカ天文学会プレスリリース(Mar.12,1998).
1998年3月26日 国立天文台・広報普及室
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隕石に含まれる謎を木星が解決か
もっとも普通の隕石内には、コンドリュール(球粒)と呼ばれる数ミリメートル程度の 球状の粒子がしばしば認められます。これらは、初期の太陽星雲中で生じた粒子です。 ただ、コンドリュール内には放射性アルミニウムが崩壊した痕跡がなく、初期太陽星雲 に存在した半減期74万年の放射性アルミニウムが崩壊しつくしてから数100万年以後に 凝集したと一般に考えられています。
一方、同じ隕石中に、カルシウムやアルミニウムを多く含んだ一種のケイ酸塩で、 CAIs(カイ)と呼ばれる物質も存在します。この中には放射性アルミニウムの崩壊した痕 跡がありますから、コンドリュールよりもさらに古い時代に凝結したものと推定されて います。
しかし、この事実は、力学的に考えた小粒子の年令と矛盾します。たとえCAIsができ たとしても、初期星雲中のガスの抵抗でこの小粒子は10万年ほどで中心の太陽に落ち込 み、コンドリュールが凝集するまで存在できないからです。
この矛盾を解決するために生み出されたのは、CAIsは小さいままで存在するのではな く、その他の物質も加えてさらに大きな微惑星に成長したという考え方です。1キロメ ートル程度の大きさになれば、抵抗の影響が小さくなり、太陽に落ち込まずに存在でき るのです。しかし、そうだとすると、隕石を作るためには、コンドリュールが凝集する 時期までに再び細かく破砕されなければなりません。
破砕が起こるためには、かなり高速で他の微惑星などと衝突する必要があります。ま た、それら破砕した破片がコンドリュールなどと共に隕石の母天体としてもう一度結合 するためには、相対速度があまり大きくてはいけません。一方では高速が要求され、ま た一方では低速が要求されるので、この考え方にもかなりの困難があります。
これを解決するものとして、アリゾナ州、ツーソンの惑星科学研究所(Planetary Science Institute)のバイデンシリング(Weidenschilling,S.J.)らは、木星との軌道共 鳴による理論を提案しています。木星がほぼ現在の大きさに成長した時点で、星雲ガス がまだ小惑星帯に残存していたなら、共鳴軌道にある微惑星の離心率が大きくなります から近日点付近で高速になり、衝突破砕の条件を満たすこと、ガス中を高速で通過する ときの衝撃波による加熱で小さい破片が溶けてコンドリュールを形成すること、さらに それらが結合して第2次の微惑星が成長することのすべてが可能だというのです。彼ら は、さまざまな条件でのシミュレーションによって、この可能性を確認しています。こ のシナリオが正しいとしますと、単に隕石に含まれる問題点を解決するだけでなく、木 星形成の時期や、小惑星帯における星雲ガスの散逸の時期に対してもヒントを与えるこ とになると思われます。
参照 Weidenschilling,S.J. et al., Science 279,p.681-684(1998).
1998年2月12日 国立天文台・広報普及室
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マーチソン隕石のアミノ酸は左手系が多い
炭素を含む化合物の中には、まったく同じ性質の分子でありながら、右手と左手のよ うに対称で、重ね合わせることができないものがあります。これらをそれぞれ、「右手 系」、「左手系」として区別します。ところで、不思議なことに、地球上の生物のたん ぱく質を構成しているアミノ酸は、ほとんどすべてが左手系です。どうして右手系に比 べて左手系が一方的に優勢なのでしょうか。これはまだ未解決の問題です。
これが中性子星の円偏光のためではないかという仮説を、2月の天文ニュース(85)で 紹介しました。またそこで、マーチソン隕石中の特別のアミノ酸を調べた結果、左手系 の分子が右手系に比べて数パーセント多かったという結果もお知らせしました。マーチ ソン隕石は太陽系誕生のころに原始ガス雲から生まれ、その後ほとんど変化を受けずに 現在に至ったと考えられていますから、この結果は、生命発生よりはるか以前に左手系 の分子を多くするプロセスが作用したことを示すものです。しかしこの結果では、左手 系が多いといっても数パーセントに過ぎず、地球上で影響を受けたのではないかなど、 いろいろの立場からの批判もあり、必ずしもすべての人を納得させるものではありませ んでした。
オクラホマ大学のエンゲル(Engel,M.H.)らは、また別の立場からマーチソン隕石中の 左手系、右手系の分子の相対量を調べました。かれらは質量数15の窒素原子に目をつけ て、質量数14の一般の窒素原子との存在比を調べたのです。これらの原子はともに安定 で、地球上での存在比はいつでもほとんど一定です。しかし、マーチソン隕石に含まれ ていたアラニン、グルタミン酸などのアミノ酸には、質量数15の窒素原子の存在比が地 球上の分子よりずっと大きいものがありました。これは、それらのアミノ酸が地球外で 生成したことを示すものです。それらのアミノ酸で、アラニンでは30パーセント、グル タミン酸では50パーセント、どちらも左手系分子が多かったのです。この結果は、明ら かに左手系分子を増加させる作用が太陽系創生当時に作用していたことを示唆するもの といえましょう。以前の解析では数パーセントであった左手系の多さが、今回の結果で は数10パーセントになったことについて、エンゲルらは、隕石中の場所によってばらつ きが多いためであろうと述べています。
たったひとつの隕石の解析だけで断定的なことをいうのは、時期尚早という批判があ るかもしれません。そのほかの適当な隕石で、あるいはアミノ酸が発見できるなら火星 の岩石で、同様な解析を行うことが望まれます。
参照 Engel,M.H. et al.,Nature 389,p.265-268(1997).
Chyba,C.F., Nature 389,p.234-235(1997).
Cronin,J.R., Science 275,p.951-955(1997).
1997年9月25日 国立天文台・広報普及室
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小惑星ベスタの大クレーター
天文ニュース(125)で小惑星ベスタの形と自転軸の向きについてお知らせしました。 それにひき続いて、コーネル大学のトーマス(Thomas,Peter C.)らは、1996年5月にハッ ブル宇宙望遠鏡で撮影したベスタの画像の解析もおこないました。前と同様にベスタの 地形を求めることか中心でしたが、画像はフィルターを使用して、0.673,0.953,1.042 マイクロメートルの波長で撮影されていますから、その色調の変化によって構成物質に ついての情報もある程度は得られます。
今回の解析でわかった最大の特徴は、ベスタの南極付近に大きな凹地が発見されたこ とでした。この凹地は直径460km、深さ13kmにも達し、平均7kmの高さの外輪と、高さ13 kmの中央丘があります。ベスタの直径580kmと比べれば、この凹地がどんなに大きいか がわかります。この凹地はどうしてできたのでしょうか。
これは、他の天体が衝突してできたクレーターと考えるのがもつとも自然でしょう。 それなら、クレーターの大きさや形が衝突クレーターとして合理的でなければなりませ ん。また、これだけのクレーターを作った衝突で、ベスタ自体がバラバラに壊れないこ とが確認できなければなりません。研究の結果、表面重力の小さいベスタでは、同じ衝 突でも、月の7.4倍のクレーターができると推定されました。つまり、月なら直径60km のクレーターを作ったのと同程度の衝突があったと考えられるのです。モデル計算では 、この衝突なら、ベスタは大破砕をなんとか免れて生き残ることが確かめられました。 この凹地の容積は約100万立方kmで、ベスタの体積のほぼ1パーセントに相当します。 深さによって色調が変化し、深いところでは輝石を含んだ地殻の深成岩か、かんらん岩 を含んだ上部マントルが露出したと考えても矛盾はありません。これらの結果を総合し て、この凹地は衝突クレーターとみてよいと思われます。
一方、小惑星帯の中には、直径5kmないし10kmの、性状がベスタによく似た小惑星が 20個以上発見されています。これらの小惑星は、クレーターが生じたときにベスタから 飛び出したものである可能性があります。これらの小惑星を全部合わせても、その体積 はベスタのクレーターの数パーセントにしかなりません。また、地球に落下した隕石の 中には、その反射スペクトルの類似から、ベスタが母天体であろうといわれている、球 粒を含まない一群の特殊なエイコンドライトがあり、HED隕石と呼ばれています。今回 のクレーターの発見によって、これらもベスタが母天体である可能性がさらに高まった といえましょう。
参照 Thomas,P.C. et al.,Science 277,p.1492-1495(1997).
1997年10月1日 国立天文台・広報普及室
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隕石母天体のマントルはどこに消えたか?
天文学者はこれまでに千個にのぼる小惑星、何千個もの隕石の反射スペクトルを比較 研究して、小惑星表面の物質を推定し、小惑星の分類を行っています。いまのところ、 この方法による分類はかなり成功しているようです。
太陽系創成当時の状態をほとんどそのままに保っている炭素質コンドライトのような 隕石もありますが、隕石の大部分は、いったんかなりの大きさの天体になり、そこで加 熱、溶解などの過程を経て、その成分が分化したものです。具体的にいうと、その天体 は金属の中心核をもち、その外側にかんらん石を多く含んだ厚いマントル層があり、さ らにその外側に玄武岩質の薄い地殻があるといった地球とよく似た構造をとるのです。 その後この母天体が衝突、破砕した結果、中心部の金属部分が鉄隕石の成分になり、周 辺のマントル部が石質隕石の成分になるといったシナリオが推定されています。もちろ ん、大きな破片で、そのまま小惑星として太陽系にとどまっているものもあると思われ ます。隕石の微量元素の追跡から、このような隕石の母天体は、少なくとも60個はあっ たと推測されています。
しかし、小惑星の観測からは、かんらん石成分に富むものはごく僅かしか発見されて いません。隕石にも、かんらん石を主成分とするものはそれほど多くはありません。マ ントルの体積は母天体の四分の三にも達するはずですが、これに比べて、観測から認め られる量はあまりにも少ないのです。このマントル物質はいったいどこに消えたのでし ょうか。これは太陽系に関する大きな問題のひとつです。
これを説明するのに、バーバイン(Burbine,T.H.)らは、初期の太陽系には小惑星の数 が現在の50倍くらいあって、非常に激しい衝突、破砕が繰り返された結果であるとの考 え方を述べています。この説は衝突、破砕の際のエネルギー配分についての最新の知見 に基づいて提唱されたもので、それによると、金属核は丈夫なので衝突後も残存します が、強度の弱い岩石でできているマントル部は粉々に小さく破砕し、その後長時間のう ちに太陽へと落下して失われてしまったたというのです。この説によると、現在残って いるいくつかのかんらん石に冨んだ小惑星は、破局的な破砕を偶然にも免れた幸運な生 き残りということになります。その種の小惑星のひとつ(253)マチルデは、この6月 に、地球接近小惑星ランデブー探査機によって調査されることになっています。
参照 Chapman,Clark R.,Nature,385,p.293-294(1997).
Burbine,T.H. et al.,Meteoritics and planetary Science,31,p.607-620(1996).
1997年1月30日 国立天文台・広報普及室
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ツングースカの爆発は小惑星によるものか?
88年前、中部シベリア、ツングースカで起こった大爆発は、小惑星によってひきおこ された可能性が強いという研究結果を、ロシア、地球圏力学研究所(Institute for Dynamics of Geospheres)のスベツォフ(Svetsov,V.V.)が発表しました。 この爆発は1908年6月30日の朝に起こったものです。その爆発力は非常に巨大で、約 2000平方キロメートルの森林をなぎ倒し、マグニチュード5に相当する地震を発生させ るほどのものでした。そのときに生じた熱はたくさんの樹木を焼き焦がしました。その あとの数日、ヨーロッパにかけての空は、夜になっても明るい「白夜」の状態になった と伝えられています。
その後の調査、研究によって、この事件は、地球外から飛来した天体が地球の大気圏 に突入し、地表から6ないし10キロメートルの上空で爆発したためであることが明らかに なっています。しかし、不思議なことに、突入天体の破片である隕石はまったく発見で きませんでした。現在の議論は、主として、突入天体が彗星であったか、それとも小惑 星であったかという問題に絞られています。彗星派は、「彗星核は氷が主成分であるか ら隕石が残らなかったのは当然である、もし小惑星だとしたら隕石が発見されるはず」 との主張をしています。さらに、軌道が似ていることを根拠に、この天体はエンケ彗星 の破片であるという説を唱えているものもいます。しかし、小惑星派からは、「理論的 計算によると彗星核はずっと高空で爆発する。したがって、ツングースカの天体は彗星 核のはずがない」という主張がなされています。
スベツォフは、15メガトンの小惑星が、毎秒15キロメートルの速さで、地表と45度の 角度で突入するという条件で、その状況の計算を行いました。過去のこの種の計算と違 うところは、最近の研究結果に基づいて、高温になったガスの透明度を大きくとったこ とです。その結果、ガス内を放射熱がかなり自由に通り抜けることができます。計算に よりますと、「突入した天体は、地表上約25キロメートルの高さから分裂を始める。天 体にかかる圧力は10キロメートルの高さで最大値に達し、1平方センチ当たり8億ダイン ほどになる。この圧力によって、天体はすべて直径1センチないし3センチ程度の大きさ に砕け、さらにその大部分は放射熱によって溶けて飛散し、破片はほとんど地上に到達 しない」という結果になるというのです。ここから、たとえ隕石が発見できなくても、 突入天体は小惑星である可能性が高いとスベツォフは結論しています。
ツングースカの天体の経路、速度、密度、組成などははっきりしていませんから、こ の結果だけで突入天体が彗星である可能性をすべて否定することはできません。それで も、隕石が発見できなかったことについては、ほぼ納得できる根拠が得られたといって いいでしょう。
参照 Zahnle,Kevin, Nature,383,p.674-675.(1996).
Svetsov,V.V.,Nature,383,p.697-699.(1996).
1996年10月31日 国立天文台・広報普及室
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「隕石落下による恐竜絶滅」説を支持する新しい証拠
いまから約6500万年前、地質時代が白亜紀から第三紀に移り変わる時期に、恐竜を含 めて非常にたくさんの生物種が絶滅した、いわゆる「大絶滅」があったことはよく知ら れています。そして、大隕石の落下がその原因であるという説をお聞きになったことも あるでしょう。これは、その時期に堆積した世界各地の地層に希元素のイリジウムが通 常よりはるかに高濃度で含まれていること、地球上にほとんど存在しないイリジウムも 隕石中にはかなりの濃度で存在することを根拠として、1980年にアルバレズ親子 (Alvarez,Luis と Alvarez,Walter)が提唱した説です。
隕石落下が大絶滅の原因であるとするこの説には賛否両論があり、反対の立場をとる 有力な説のひとつに「火山説」があります。これは、濃度の高いイリジウムの堆積を、 火山噴火によって地球深部から噴き出したイリジウムによるとして説明するものです。 そして、隕石落下説を否定する理由のひとつに、高濃度にイリジウムを含む層は数万年 にもわたって厚く堆積したものであり、地質学的にはごく短時間の現象である隕石落下 では、これだけの期間にわたって堆積するはずがないことを挙げています。
前置きが長くなりましたが、アメリカ、ロチェスター大学のアンバー(Anbar,Ariel) は以前から海水中の希元素の研究を行なっていました。海水に新たに加えられたイリジ ウムは、堆積するなどの過程によってしだいにその量が減ります。アンバーは非常に感 度の高い方法で太平洋やバルト海の海水に含まれるイリジウム量の分析をして、海水中 のイリジウムの残存期間を2000年から2万年程度と見積もることができました。残存期 間とは、放射性物質の半減期と同じで、存在量が半分になるまでの時間です。この残存 期間から、隕石落下で地球に持ち込まれ海水に溶け込んだイリジウムは、その後数万年 にわたって堆積層に入りこむことが推定されます。そうだとすれば、イリジウムを含む 堆積層がある程度厚くても不思議はありません。アンバーが求めたこの結果は、火山説 を支えていた有力な根拠のひとつがなくなっことを意味します。
「最近の研究結果は隕石落下説に有利なものが多く、火山説はしだいに色あせてきた ようだ」とアンバーは言っています。白亜期と第三期の境界層で強力な衝突の証拠であ る変成石英鉱物が発見されたこと、メキシコで同時代の直径200キロもの衝突クレータ ーが見出されたことなど、隕石落下説を支持する証拠がつぎつぎに挙げられています。 さらに、ここで述べたように、地球化学の分野からの証拠も加わりました。この詳細 は、9月13日発行のサイエンス誌に発表されます。
参照 アメリカ天文学会リリース(Sep.12,1996)
1996年9月13日 国立天文台・広報普及室
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火星起源の古い隕石
10年あまり前に南極大陸で発見された隕石ALH84001は、数年前に行われた酸素同位体 の測定などから、もと火星に存在していた岩石であることがわかっていました。イギリ ス、マンチェスター大学のアッシュ(Ash,R.D.)、ターナー(Turner,G.)、アメリカ、自 然史博物館のノット(Knott,S.F.)らは、アルゴン-アルゴン法などで年代決定を行った 結果、この隕石が約40億年の年令であることを突き止めました。SNC隕石と呼ばれて、 やはり火星起源と推定される10個ほどの隕石がすでに知られていますが、ALH84001はそ れらよりはるかに古いものでした。
岩石の年令は一般にその岩石が固結してから経過した時間を表わします。しかし、大 隕石が衝突したショックで変成したような場合には、それ以後の経過時間を表わすこと もあります。ALH84001の場合は、火星上でショックを受けてからの年代を示すものと思 われています。
40億年前は、比較的短時間に数多くの天体が衝突して、月にたくさんのクレーターを 作った「月の大変動」の時期です。これまで、この大変動が地球−月系の近くだけで起 こったのか、それとも太陽系全体にわたる現象であったのかについて、さまざまな議論 がありました。しかし、その証拠になるものはほとんどありませんでした。火星起源で 40億年の年令をもつ隕石が確認されたことは、たった一例であるにせよ、この大変動が 月だけでなく、内部太陽系全体にわたる現象であったことを推測させる貴重な発見と思 われます。
なお、ALH84001とは、1984年に南極大陸のアラン・ヒル付近で採集された最初の隕石 であることを示す記号です。南極では厖大な数の隕石が発見されましたから、それぞれ の隕石には、すべてこのような記号をつけて区別しています。
参照 McSween,H.Y.,Meteoritics 29,p757-779,(1994),
Chapman,C.R.,Nature 380,p23-24,(1996),
Ash,R.D.et al.,Nature 380,p57-59,(1996).
1996年3月14日 国立天文台・広報普及室
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つくば市に隕石落下
新聞、テレビなどで大きく報道されましたから、もはやニュースとはいえないかもし れませんが、1月7日16時21分頃に、中部地方から関東地方にかけて、多数の人が、 南西から北東へ明るく光る火球が飛んでいくのに気付きました。高さが低くなったとこ ろで衝撃波を発生したため、数分後に「ズシン」とか「ドーン」といった感じの音がひ びきわたり、爆発音を聞いたという情報が、広い範囲から警察、消防、報道機関などに 寄せられ、ちょっとした騒ぎになりました。
一方、茨城県つくば市上広岡の、常磐自動車道近くにある自動車整備工場では、ほぼ 同時刻に、敷地内に石のようなものが落ちたことに気付き、経営者がそれを拾い上げま した。国立科学博物館の名誉研究員、島正子さんが鑑定した結果、その石は隕石である ことが確認されました。この隕石の飛行が、上記の目撃された火球であることは確実で す。隕石は大きさが3.5センチに5センチくらい、約60グラムのコンドライト(球粒 隕石)で、隕石としては小さなものです。片側に飛行中に表面がとけて生じた溶融皮膜 があり、片側は破砕面になっています。ここからみると、発見されたものは上空で破砕、 分裂した隕石の一部で、これ以外に、どこかに別の破片がいくつか落下している可能性 が大きいと思われました。はたして、上記の地点から約7キロメートル離れた同じつく ば市の農水省蚕糸・昆虫農業技術研究所の構内で、主任研究官の小山朗夫氏が、1月9 日の朝、芝生に転がっていた15個の石を発見、これも隕石であることがわかりました。 おそらく、この他にも隕石破片が落ちていると考えられます。なお、日本での隕石落下 は、昨1995年2月18日、石川県に「根上(ねあがり)隕石」が落下して以来、約11 ケ月ぶりのことです。
まだ十分なことがわかったのではありませんが、これまでの情報を総合的に判断しま すと、火球は、長野県南部か静岡県あたりで出現、茨城県南部へ向けて飛行した模様で、 光っていた時間は4秒から5秒くらい、隕石は毎秒20キロメートルか、それを多少上 回る速さで大気圏に突入してきたものと推定されます。大気中で隕石の一部が飛散して 生じた隕石雲が飛行経路に沿って現れ、50分くらい見えていたということです。 火球が飛行した際の衝撃波は、一般に音速以上の速さで物体が運動する場合に発生す るもので、ジェット機の飛行から生じることもあります。衝撃波が到達した瞬間の振動 が高感度の地震計に感じますから、その記録がいくつもあれば、そこから火球の精密な 出現時刻や飛行経路が決定できます。地震計の記録は目下調査中で、いずれにしても、 さらに情報がほしいところです。
1996年1月11日 国立天文台・広報普及室
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