マイク・ファーマー:メテオライト・ハンター

Space.com (http://www.space.com/)
Mike Farmer: Meteorite Hunter
By Greg Clark
Staff Writer
posted: 11:01 am ET
01 May 2000

1996年にアメリカ、アリゾナ州のツーソン・ジェム・アンド・ミネラル・ショーで隕石の塊をを購入したとき、マイク・ファーマーは、アリゾナ大学でスペインとラテンアメリカについて学んでいる学生だった。その『石』には催眠効果と人生を変えるほどの力があったようだ。

『あの日から中毒になった』、ファーマーは言う。その破片は小さいものだった。オーストラリアで見つかった、きわめて一般的な30グラムほどの隕石片。しかし、何十億年という時を宇宙をさまよってきた隕石がある瞬間に地球と衝突し、それが今自分の手にある・・。これがファーマーをかきたてた理由だった。

『完全に夢中になっちゃったから、ただ買って、買って、買い続けたんだ』

現在27歳のファーマーは、大学をやめた。自分のエネルギーと時間をすべて隕石のハンティングと取引に費やせるようにするためだ。隕石を売るウェブ・ページを立ち上げ、2DKの自宅ですべてビジネスを行っている。

隕石の取引に参入するには非常に難しい時期だった。にわかに隕石が注目を集め初めたため、自由で気楽なロック・ハンターたちが、空から落ちてきた石を見つけて売ることで生活を立てようとしていたためだ。同時に知識と経験を持ったディーラーたちが自分たちのビジネスを守ろうと

隕石ビジネスに参入するのは難しかった・・と、ファーマーは振り返る。しかし3つの有名な隕石の落下で、いち早く現場に駆けつけたことで他のディーラーたちにも一目置かれるようになった。

『それで名前が売れたんだ』。ファーマーが続ける。『自分たちがどう思っていようと、俺がやりたければやるってことに気づき始めた』。さらにファーマーは、世界で誰も売っていない隕石を手に入れた。

最初の旅行2回は、すぐにはもとが取れなかった。しかしガンガン行くやり手だということで知られるようになった。1998年3月、フットボールサイズの隕石がテキサスに落ちた。ファーマーは30時間後にはそこにいたが一足遅かった。発見者と市の間で、どちらが石の所有権を持つかの争いがあった。既にNASAと隕石ブローカーが隕石の取得に乗り出していた。ファーマーが到着した直後、NASAの研究者と市の間で話がついた。隕石はヒューストンにあるNASAのジョンソン・スペース・センターで研究されることになり、ファーマーは何も手にすることができなかった。

3ヶ月後、空中分解した隕石の破片がニューメキシコのポータルス・バレーに落ちた。今度もファーマーは現地に直行、落下が目撃された砂漠に赴いた。ちょうどアマチュア・コレクターが5キロの固まりを拾ったところだった。ファーマーは交渉したが、発見者は売ってくれなかった。ファーマー自身も小さな隕石を拾ったが、大きなものは見つからなかった。

 

狂ったアメリカ人がポルトガルの片田舎のバルで10000ドルを使い切る

1999年4月、ファーマーはポルトガルのオウリクでの落下を耳にした。一瞬の躊躇もなくファーマーはリスボンまでの航空券を手にいれ、10000ドルの現金を持って飛行機に飛び乗った。

『インターネットにちょこっと書いてあったのを見て知ったんだ。それでリスクを承知でそこに飛んだ』、ファーマーが説明する。彼はレンタカーを借りてポルトガルの南東の村に行った。数時間以内に彼はこの新しい隕石を世界の市場から買い占めてしまったのだ。

石は何ヶ月も前に落下し、道の真ん中にぽっかりとクレーターを作っていた。それはオウリクでは大ニュースだったが、研究のためサンプルを受け取った何人かのリスボン大学の研究員以外は誰も知らなかった。

『ニュースにはならなかった』と、ファーマー。『分類が終わってインターネットに出るまではね』。大学の科学者たちは隕石を分類した - 組成とタイプを確認し、名前をつけた。それはインターネットで発表された。最初の発表がインターネットに出、それを見た次の日には彼はポルトガルにいた。

『町の人は落下を見ていたし、たぶんみんなその破片を持っていたと思う』、ファーマーは思い出す。『俺も1.5キロのを落下でできた小さなクレーターでみつけた。みんなとらないでそこに残してあったんだ。でも、基本的にみんなでっかい固まりを家に持ってた。それを割って友達とかに配ってた』

ファーマーはバルに行き、はかりを置き、彼が隕石を買うという話をした。

『ホントに小さな村だったから、狂ったアメリカ人が石を買ってるって話はすぐに知れ渡った』、ファーマーが言う。『俺はだいたい1グラム50セントから2ドルくらい払った』。『俺はバルに座ってビールを飲んでいただけ。はかりがそこにあって、村人は列を作っていた』

その日の終わりにはファーマーはお金をすべて使い切り、約9キロ相当のオウリク隕石 - 村に落ちたほとんどすべての隕石を買っていた。

家につくと彼はたった7ドル・・・・そしてバッグにいっぱいの隕石を持っていた。

しかし投資した甲斐はあった。世界中のマーケットから新しい隕石を独占したのだ。それは、博物館から個人のコレクターまで、誰もが持っていなければならない石となった。

博物館とは他の珍しい隕石と交換し、のこりは1グラム10ドルで売りさばいた。

 

リスキーな取引、ブーミング・ビジネス

ポルトガルへの旅はもとがとれたが、他の旅はそうそう幸運ではない。

旅への出費と隕石が持ち帰れる確立を考えると非常にリスクの高い冒険だ。その隕石がいくらになるか、それがわかる眼力も必要になる。

彼はヨーロッパでのショーでも売るが、ビジネスのほとんどはインターネットである。彼によると、インターネットでの取引はこの2,3年で爆発しそうな勢いだ。信じられない勢いで広がってる。

3年でファーマーのビジネスは、一ヶ月に何百ドルだったところから一ヶ月に8000ドルから9000ドルに近くなっている。今年の2月にあったツーソン・ジェム・アンド・ミネラル・ショーでは、ポータルス・バレーで手に入れ5キロの隕石を30000ドルで売った。それはショーで売られ隕石の中で最も高いものだったかもしれない、彼は言う。世界で最も有名なコレクターの一人が買った。

その石は、ファーマーが買おうとして買えなかったピースだった。ファーマーに戻ってきたのだ。12月に、発見したアマチュア・コレクターから電話があった。

『クリスマスの何日か前にお金が必要で電話をかけてきたんだ』と、ファーマー。『明日現金をもってそこに行くよって言って。手に入れたんだ。もともと提示した金額よりずっと安い値段でね』。

『運と執着心だ。よく見て、見て、見なければならない』

今年はファーマーにとって最も忙しい年だった。

1月は大量に仕入れるためウルグアイにいた。3月はユコン・テリトリー上空で爆発した隕石が見つかったと聞いてそこに行った。発見者が発見場所を秘密にしたために、運悪く手に入れることができなかったが、その努力は隕石コミュニティーで認められた。

『ファーマー、応援してるよ』有名なメテオライト・ディーラーで、20年以上も隕石を集めているボブ・ハーグ(メテオライト・マン)が言う。『自分から泥まみれになって、がんばってるんだ。これは実はすごいことなんだよ』

四月、ファーマーとハーグは協力してビランガ・ヤンガという隕石の大きなピースを買いにアフリカへ行った。何ヶ月構えに大陸の西の方に落ちたものだ。ハーグによると成果はほとんどなかった。

今ファーマーはチリの高地の砂漠で、イミラックという隕石を探してキャンプしている。石と鉄によって構成され綺麗グリーンのクリスタルを含む、息をのむほど美しい隕石だ。

『あの辺りからはもうちょっと見つかるはずなんだ。それが戻って見てみろって俺をせき立てるんだよ』。行くまえにファーマーが言っていた。

友人や仲間はファーマーは今回の旅行で大きなものを当てるんではないかと期待している。

『マイクしばらくついてなかったかったからね』。ダリル・ピットが自然史オークションのニューヨーク・メテオライト・ディーラーで言った。『そろそろ当てていいはずだ』。